視線恐怖症・対人恐怖症に悩み苦しんでいた頃は旅行が苦手でしたが、今は大きな楽しみの一つになっています。
視線恐怖症・対人恐怖症だった頃と今(克服した後)の違いについて、具体的に何が辛かったのかを中心に気づいた点をまとめてみました。
目次
苦手だった旅行。視線恐怖症・対人恐怖症を克服したら様々な点で変化が・・・!
視線恐怖症・対人恐怖症だった頃の私は旅行には全く興味がありませんでした。
「せっかくの休日に」「わざわざお金を使って」人がいる場所に飛び込んでいくわけですから行こうと思わないのも当然です。
ところが妻は大の旅行好きで、これを無視するわけにもいかず、年に何回か旅行に出かけていました。
今年もその一環で二度ほど旅行に行ったのですが、以前視線恐怖症・対人恐怖症だった頃と比べていろいろな面で変化があったことに気付きました。
今回はその点についてお話ししようと思います。
乗り物(新幹線・飛行機など)
雑音や他人の細かな振る舞いをいちいち気にすることがなくなった
以前は車内・機内で話し声が聞こえてくるだけでも苦痛でたまらず耳栓が必須でした。
(くしゃみ・赤ちゃんの鳴き声、といった生理的でどうしようもないものは平気なのですが、咳払い・ため息・大きな声の雑談、といった意図的に出される音が苦痛で仕方なかったのです)
今はそれら全てが全く気にならない状態で、当時の惨状を思い返すと自分でも驚きです。
車内の移動が苦にならない
以前は席を立ってトイレに行くなどありえないことでした。
移動中多くの人とすれ違うなんてとても耐えられません。
逆も同じで、他人が自分のほうに向かって歩いてくるのも苦痛でした。
「お願いだから自分の周りをウロウロしないでくれ・・・」
と思っていましたが、無茶なお願いですね。
今は景色を見たり本を読んだり妻と雑談したりしているうちに知らぬ間に時間が過ぎていきます。
宿泊先
受付・記帳が苦にならない
・ホテルのフロントに行く
・住所・氏名を記帳する
ほんの数分程度のはずなのにとても長く感じていました。
特に記帳するときは沈黙の中ひたすら字を書き続けるのが苦痛で、「早く終わらせないと」と毎回焦って書いていました。
今はフロントに行くのに何のためらいもないですし、記帳する際の戸惑いもありません。
ホテル・旅館の方が風呂や食事の説明をしてくれる時、妻と私を交互に見ながら話してくれるようになった
以前だと
最初は妻と私を交互に見ているものの、最終的には妻だけを見て話をするようになる
というパターンが確立されていて、毎回何とも言えない気持ちになったものです。
当時は「なぜなんだ?」と従業員の方に怒りにも似た感情を抱いていましたが、今なら彼らの気持ちがよくわかります。
食事
他者の目を気にせず純粋に食事を楽しむことができるようになった
カウンターで食べる和食、雰囲気のあるイタリアン・・・。
それらは確かに値段相応においしいのですが、それ以上にその場にいることが苦痛でどうしても料理を楽しむことができませんでした。
・店主・店員・他の客に見られている
・自分の視界に彼らが入ることで不愉快な思いをさせてしまうのではないか
・そもそも自分はこの場にふさわしくないのではないか
こうした気持ちが邪魔して当時は食事どころではありませんでした。
今は店内を見渡す・食事に集中する・お店の方と話す(雑談・料理に関する質問、など)、といったことができる状況で、純粋に食事を楽しめるようになりました。
今では旅の重要な要素になっています。
観光
行きたい場所へ自由に行くことができる
以前は人が多そうな場所はできるだけ避けていました。
マイナーな穴場を巡るのもそれはそれで楽しいのですが、人が集まる場所にはそれだけの理由(見どころ)があるわけで、行ける場所の選択肢が最初から狭くなっていては旅の楽しみが半減してしまいます。
「ここに行ってみたい」⇒「じゃあ行こうか」
今はこの当たり前の行為ができる幸せをかみしめています。
以前にくらべて撮った写真に人が入っている率が高い
これは自分でも最近まで気づいていなかったのですが、写真を整理していて気づきました。
以前は風景のみのものが9割以上でしたが、最近の写真は明らかに人が写っている率が高いのです。
面白いものですね。
さいごに
今現在対人恐怖症・視線恐怖症に苦しみ、外出自体が苦痛な方にとって、旅行は息抜きでもなんでもなく地獄そのものでしょう。
以前の私がまさにそうでした。
ですが見知らぬ土地に行って新たな経験をするのは、本来とても楽しいことです。
以前私が旅行を避けていたのは対人面の不安が大きすぎただけであって、旅行そのものは好きだったんだということに気づきました。
昔は乗り気でない私を妻が連れ出す、というのが定番だったのですが、今後その図式が変わりそうな気がしています。
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