酒井高徳さんの名言紹介「誰かのために何かをするのは無意味なんじゃないか」

先日サッカー選手の酒井高徳さんの記事を読んで
「あ、これ視線恐怖症・対人恐怖症の人にも見てほしいな」
と思ったことがあったので今回紹介したいと思います。

元記事の概要

読む余裕がない方のために概要を説明すると
・20歳からドイツに移籍してプレーするも28歳でJリーグ復帰
・復帰した原因の1つに貢献し続けたチームのファンから大ブーイングを浴びるようになった
・数年前までは「お前がキャプテンでよかった」と言ってくれた人たちが手のひら返し
・チームが2部に降格したときも「チームのために」とあえて残留したのにこの扱い
・「誰かのために何かをするのは無意味なんじゃないか」と思うようになった
・「自分が何をしたいのか」を考えるようになり、今はとても充実している
とこんな感じです。

誰かのために何かをするのは無意味なんじゃないか

今回注目してほしいのはここです。
「誰かのために何かをするのは無意味なんじゃないか」と思うようになった
「自分が何をしたいのか」を考えるようになった

これはかなり核心を突いた言葉で、サッカー選手とファンの関係にとどまらず人間関係全般に言えることだと思います。

対人関係の悩みは
「他人は自分のことをどう思っているのだろうか」
という感情を起点に発生するものです。

個人主義が徹底している欧米とは違い、日本は集団の意思を尊重する文化です。
そのため日本で生まれ育つと、どうしても自分を他者との関係の中で見ることが多くなり、結果「他人のために何かすることが素晴らしい」という価値観に染まってしまいがちです。
※酒井高徳さんはアメリカ生まれではありますが、2歳から新潟県で育っているため日本人の価値観を共有する方と言って差し支えないと思います。
酒井高徳 - Wikipedia

酒井高徳さんの場合はこのような価値観からあえてチームに残留する、という行為を選択したのでしょう。

もちろんこの考え方にも良い面は多々あり、日本の秩序、礼儀正しさ等が良い例です。
が、この考えに染まりすぎると「自分が何をしたいのか」が見えなくなり、対人関係に悩むようになります

自分が何をしたいかわからないと、なぜ対人関係に悩むことになるの?

今上記のように思った方、いい着眼点です。
なぜそうなるのか、順を追って説明するとこんな感じです。

「自分はこうしたい」という意思がない

「他人はどうしたいのかな」と思うようになる

周囲の人は自分にどうあってほしいのかな?と考えるようになる

周囲の人の期待に沿った行動をするようになる

常に周囲の顔色を伺うようになる

他人と自分の意見が常に一致するわけがないので、周囲の期待とのギャップに苦しみ続けることになる

なんとなくイメージできたでしょうか?
自分の意思(意志)がないと、他者の考えや感情に振り回されることになり、結果対人関係に苦しむことにつながるわけです。

視線恐怖症・対人恐怖症を克服した経験から言わせてもらうと、「自分が何をしたいのか」を主軸に生きることは本当に重要です。
他人の顔色をうかがうことなく、自分のやりたいことに集中する。
自分が決めた道を歩くので、何かあっても他人のせいだと気に病むこともありませんし、誰に何を言われても気になりません。

誤解してほしくないのですが、他人から好かれることを良しとするのは決して間違っていません。
それ自体が第一の目標になってしまうのがダメだと言っているのです。

自分の意思を抑えて他人の顔色をうかがいながらずっと生きなければならない。
これは本当につらいですよね。

さいごに

酒井高徳さんのことは日本代表でプレーしている姿くらいしか知らず、特別な思い入れもなかったのですが、この話を聞いてとても親近感を抱きました。
海外のチームからJリーグに戻ると「都落ち」等と揶揄されがちですが、そんな声は全く気にせず楽しくプレーできているのではないでしょうか。
今後ニュース等でお名前を見かけた際は必ずチェックしようと思います。


コメント