本当に嫌いだったイヤホン・ヘッドホンの音漏れが全く気にならなくなっていたことに気が付いた

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視線恐怖症・対人恐怖症だった頃は気が狂いそうなくらい嫌いだったイヤホンの音漏れが全く気にならなくなっていることに気づきました。

そういえば最近イヤホンしている人見かけないな・・・

最近電車に乗っているとき、ふと思いました。
「そういえば最近イヤホンの音漏れにイライラした記憶がないな」
と。

最初は電車で音楽を聴く人が減ったのだろうかと思いましたが、普通に考えてここ1~2年でイヤホン着用者が激減するはずはなく、単に私がイヤホンの音漏れに敏感でなくなっただけなんだ、ということに気づきました。

イヤホン・ヘッドホンの音漏れが本当に嫌いだった

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視線恐怖症・対人恐怖症だった頃はとにかく日々心に余裕がなく、ちょっとしたことでもすごく気になって頭から離れない、そんな状態でした。

そんな私にとって、電車内で聞こえてくるイヤホンの音漏れは本当に苦痛でした。

漏れてくる音そのものが不快なこともありますが、それより着用者の
他者に配慮しない姿勢
がとにかく嫌いでした。

マナーを守らない人(と私が勝手に思っていただけですが)へのいらだち、それを自分の力でどうにもできないもどかしさ・・・
症状が深刻だった頃は本当に気が狂いそうなくらい参っていました。

何とかしようとしていたあの頃

この状況を脱するために何をすればいいか、当時はよく考えていました。

・注意する
⇒そんな勇気はないですし、そもそも何をもって迷惑をかけているといえるのか、という問題もあるからダメ(自分が神経質すぎる、という自覚は当時もありました)

・隣で音楽に合わせて踊る
⇒ネットで見つけた方法ですが、視線恐怖症の頃の私には到底無理です(今も無理ですけど)

・封筒に数万円と「これでいいイヤホンを買ってください」と書いたメモ書きを入れて、その人のポケットに入れる
⇒お金がもったいないし、おそらくその人はお金を別のことに使うでしょう。

うーん、いい方法がない・・・

「その場を離れれば済むことでは?」
という声が聞こえてきそうですが、何もしていない私がなぜわざわざ移動しなければならないのか、という怒りの感情が沸き起こるのでこれも当時の私には受け入れられないことでした。

今だからわかること

上記のような感じでずーっと苦痛だった音漏れですが、今は本当に気になりません。
逆になぜあそこまで執着していたのか、不思議な気持ちすらおぼえます。

過去の私について言うと、変な言い方になりますが、あえて自分からイヤホンをしている人を見つけにいっていたように思います。

満員電車の中で耳をすませば音楽の一つや二つ聞こえてきて当然なわけですが、あえてそれを探し出して相手を敵視し、なんとかしようとする。

毎日こんなことを繰り返したところで一切前向きな結果が得られないのは言うまでもありません。

精神的に健康な人から見ると執着心の塊のような異様な心理状態ですが、自分がそのただ中にいるうちは不思議と気づかないものなのです。

当時はなぜみんなこの状況で普通にしていられるんだろう、と思っていましたが、そもそも気にならない(というより気が付かないことが多い)というのが実情だったようです。

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