すれ違いざまにジッと見つめられたり、路上で小さな音を立ててしまったときにチラッと見られたり・・・
「わざわざこちらを見なくても」
という場面でいちいちこちらを見てくる人にイライラしたことはないでしょうか。
ちょっとしたことなので気にならないという人もいるでしょうが、一度気になってしまうとどうにも落ち着かないという方もいることと思います。
ここでは他人を見つめる人の心理と、それに悩む人に向けた対策についてお話ししたいと思います。
目次
わざわざ他人を見る理由5つ
なぜ人はわざわざ見なくても良い場面でいちいち他人を見るのでしょうか。
理由は様々で、主に以下5つの理由があると考えています。
単純に見たいという欲求
まず思い浮かぶのがこちらです。
・相手の容姿が気になったので見る
・普段見かけない人だから見る
・単純に気になるから見る
などなど・・・
「気になったからといっていちいち見るのは恥ずかしいことだ(失礼なことだ)」と思って見ない人もいれば、欲求そのままに見る人もいます。
高齢者に多いのはなぜ?
きちんと統計を取ったわけではありませんが、この傾向は高齢者の方に顕著な気がします。
理由としては以下が考えられます。
・年を取ると欲求に正直に生きる傾向が強くなる
→「周囲の目が気になる」「恥ずかしい」という感情が若い時と比べて薄くなるので、自然と欲求の向くまま目を向ける機会が多くなります。
・人と関わることを好むようになる
→年を取ると若い頃に抱いていた「他人と関わるのは面倒」という感情が薄れてきます。
理由はよくわかりませんが、上で述べた恥ずかしいという思いが無くなってくる点と関係しているのかもしれません。
私も年齢を重ねるにつれてこのあたりの感情が理解できるようになってきました。
・昔は他人と密接に関わりながら生きるのが普通だった
→他人とほとんど関わらずに生きることができる。そんな便利な世の中になったのはつい最近のことです。
以前は地域・会社の中で密接に関わりながら協力し合って生きるのが普通でした。
そうした時代を中心に生きてきた方にとって他人を見るという行為はごく自然なことなのかもしれません。
このように整理してみると高齢者の方がジロジロと他人をみるのはある程度仕方のないことだと思えてきますね。
危険を回避するための本能的な反応
音に反応してこちらを見るケースはこちらに該当します。
人間はもともと外敵の襲来に備えて生きる必要があったため、周囲の音に敏感になるのはごく自然なことでした。
外敵の心配が無くなった今の時代も
・何かが飛んでくるかもしれない
・車が突っ込んでくるかもしれない
・通り魔に襲われるかもしれない
といった不安は依然あるわけで、危険を感じて目を向けるのはおかしなことではありません。
隣で爆音がして振り向かない人はさすがにいないでしょう。
ちょっとした音にも反応する人にイライラするかもしれませんが、何に危険を感じるかは人それぞれなので一概に責めるのは間違っている気がします。
あえて見ないのがマナーという考え方がない
例えば誰かが小銭を1枚落とした時
「相手もジロジロ見られたら嫌だろうから見ないであげよう」
と配慮する方が多いと思いますが、とりあえず見るという方もいます。
もともと「人に見られるのが嫌」とあまり感じない人は、相手が見られて嫌がっていることに気付きにくいため「見ないであげた方が良い」という考え自体が浮かばないのです。
見ている方も悪気があるわけではなく相手を心配しているのかもしれません。
自信の無さの裏返し
「何見てんだよ」
「お前地元どこだよ?」
のアレです。
強がっていますが実際は自信のなさが表れているにすぎません。
自分に自信を持てない。けど強い自分でありたい。
そのギャップを自覚しているがゆえに他人に見下されることを極度に怖れているのです。
本当に自信を持っている人はわざわざこんなことする必要はないですからね。
精神的なトラブルを抱えている
・統合失調症(「社会全体から監視されている」と考えてしまう)
・対人恐怖症(他者と関わることに恐怖を感じる)
・視線恐怖症(自分の視線のせいで他者に迷惑をかけていると感じる)
など他者との関係に関するトラブルを抱えている人は他者の存在を強く意識する傾向にあります。
彼らにとって周囲にいる人はみな敵なので、その恐怖から常に他者を意識し警戒しているのです。
対策は?
ここから対策についてお話ししたいと思います。
まず最初に前提として確認しておきたいのが
「他人を変えることはできない」
ということです。
理由のところで述べた通り、人それぞれ理由があってこちらを見ているのですから、それを止めさせるのは極めて困難です。
あなたがすべきことは
・見てくる人の存在を認め、受け容れること。
つまりあなた自身が変わることです。
例えば欲求にしたがってこちらを見てくる人に遭遇したときに
「そういう人なんだな」
「高齢者の方は人と密接に関わる生き方が当然だったんだから仕方ないよね」
「いろんな人がいて当たり前」
という価値観を持てるようになれば無駄にイライラする必要は無くなります。
・自分の価値観に合わないものは悪
という考え方では人と会うたびにイライラしなければならなくなり、精神的に疲れ果ててしまいます。
多様な価値観の中で生きていく覚悟を決めて感情を揺らさずに生きる道を選びたいものです。
視線恐怖症の場合は段階を踏んで治療することが大切
他人に見られるのがとにかく嫌で、生きているのが辛いと感じるほどに悩んでいる場合は視線恐怖症(他者視線恐怖症)の可能性が高いです。
※参考:上で述べた「見てしまうのが辛い(自分の視線に対する悩み)」は自己視線恐怖症で別の症状です。
特に
「自分だけ異様に人から見られている気がする」
と感じている方はこれに該当するとみてほぼ間違いないでしょう。
ここまでくると、単に「価値観を変えなさい」とだけ言われても治療は困難です。
生活環境や習慣を見直して心の余裕を持てるようにする
→腰を据えてじっくりと自分と向き合い、何が原因でこうなっているのかを理解する
→ものの考え方を少しずつ改める
→並行して日常生活で困難を抱えている場面を抽出して解決しやすそうなものから1つずつ克服する
といった形で段階を踏みながら時間をかけて1歩1歩前に進んでいく他ありません。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
他人を見つめる理由について整理してみると、人それぞれ様々な事情があることに気づかされます。
こうした理由を知ることで
「そこまで目くじらを立てることではなかったかな」
と思い直すきっかけになれば幸いです。
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