視線恐怖症体験記(私の場合)

私が視線恐怖症になってから治るまで

ここでは以前視線恐怖症だった私が、どのようなことに悩み苦しんできたか、そしてどのようなきっかけで治ったかについて紹介します。

視線恐怖症と一言でいってもその症状はひとりひとり違います。
これらの情報はあくまで私個人の経験なので、どれほど皆さんのお役に立つかはわかりません。

ただ、
「あ、これ自分と同じだ」
「それわかる」

など共感できるところがあれば、きっとあなたはかつての私と同じ悩みを抱えていると考えられます。

そして
私と同じ悩みを持つのであれば、私と同じ治療法で視線恐怖症が治るのではないか
と考えています。

これからお話しする内容について、ご自身の経験と照らし合わせながら見ていただければと思います。

視線恐怖症発症

私が視線恐怖症(当時はこの言葉自体知りませんでしたが)を意識し始めたのは高校生くらいの頃と思います。
ただその頃は辛いとか苦しいといった感情は特にありませんでした。

視線恐怖症であることを明確に自覚したのは社会人1年目のときです。
・地方都市から東京に越してきたこともあり、人の多さに参っていた
・職場にて、前後左右を人に囲まれた状態で毎日長時間過ごさなければならなくなった

そんな状況の中で、辛さ・苦しさをはっきりと認識するようになりました。

外出

電車内
子供の頃はなんでもなかったことが急に怖く感じるようになってしまいました。

・家を出るまでに何度か葛藤がある。迷った挙句出ないことも・・・
「今日絶対に行かなきゃいけないわけでもないし」
「明日にしよう」

・電車に乗るのが怖い
「どこを見ていたらいいのか。前ムリ横ムリ下もムリ。目を閉じるしか・・・」

・車の助手席に座れない(確実に隣に人がいるから)

・前から来る人とすれ違うのが怖い
「目隠し・咳払いされたらどうしよう・・・」「なんでこんなに目隠し・咳払いされるのか。死にたい・・・」
※【用語解説】目隠し:他人が自分の視界に入らないよう手や物などで視界を塞ぐこと

会社生活

会社にいるのが辛く、自席にいるときはよく目を閉じて過ごしていました。
家に帰っても会社に行くのが嫌でなかなか寝ることができず、毎日夜更かししていました。

そんな状態なので仕事がまともにできるわけもなく、当時を振り返るとよくクビにならなかったなと思います。

その他こんなことも・・・

・飲み会には極力出ない
「無駄に高いお金を支払うだけ」
「大切な数時間が苦痛でしかない時間に消えるだけ」

・人に話しかけるのが怖い
それが原因で仕事が滞ることも

・一度隣の席のことが気になってしまうとその方向を向くことすらできなくなる

・席替えが怖い
「また別の誰かに嫌われるのか・・・」
「次自分の隣になる人、ごめん」

友人との関係

昔からの友人ともあまり連絡を取らなくなってしまいました。
こちらからメールをすると、やり取りの中で嫌われてしまうかもしれない
そんな考えが頭の中を支配するようになってしまいました。

向こうから連絡があれば返事はしていましたが、こちらから連絡することはほとんどなくなりました。

症状悪化~最悪の時期

苦悩の日々
そんな生活を繰り返すうちに私は心身ともに疲れ果ててしまいました。
一番信頼していた家族を亡くしたこと、仕事がとても忙しかったことも追い討ちをかけました。

前から人が来たら
「ああ最悪」

目隠しされたときは
「誰もお前なんか見てねえよ」
「今日自分に目隠しした人達に天罰が下りますように」

隣に人が来たら
「自分の隣に来るなよ。鬱陶しい」

そしてその人が居づらさを感じて自分から離れると
「どうせこうなるんだから最初からこないでくれよ、もう」
「わかった。自分が〇ねばいいんだよな。悪かったな」

終始このような感じで一部の信頼できる人を除き周囲全員が敵でした(自分でそう思っていただけではありますが)。

日々の生活自体が苦行の連続で毎日のように死にたいと思っていました。

幸いそれなりに給料のもらえる企業に勤めていたので、隠居できるだけのお金を貯めてさっさと会社を辞めることだけを望みに生きていました。

転機訪れる

10年近くにわたり視線恐怖症に苦しんできた私ですが、転機が訪れます。
友人の結婚です。
会社の同期、大学の友人の結婚式などには何度か呼ばれて出席していたのですが、今回はそれらとは全く別でした。
子供の頃から知っていて(生涯をかけた)趣味も共有している本当に大切な友人の一人だったからです。

他人のことであんなに幸せな気持ちになったことは生まれて初めてでした(自分でもそんな気持ちになるなんて思ってもいませんでした)。

そして結婚式の帰り道にふと気づきました。

今日一日視線恐怖症のことなんて全く気にならなかった
ということに。

その日から視線恐怖症は治らないものではないという思いが自分の中で固まっていきました。

試行錯誤の日々

視線恐怖症は治らないものではないと思うようになってから、どうすればこの悩みを解消することができるのか、日々の生活を実験場と考えながら色々と試すようになりました。

過去にも色々と試したことはあったのですがいずれも失敗に終わりました。

しかし今回は本気度が違います。

短絡的にこうしてみたらどうか、という考えで動くのではなく
「何が辛いと感じるのか」
「そもそもなぜ辛いと感じているのか」
といった形で自分を根本から見つめ直し、その上で何をどうすべきか時間をかけてしっかりと考えました。

そして数ヶ月間試行錯誤を続けました。

「治った」「やっぱりだめか」
そんなことを繰り返しながらも得られたものは大きく、視線恐怖症の症状は徐々に軽くなっていきました。

完治!

2度目の転機はそれから半年くらいたったある日、突然訪れました。

その日のことは今でもはっきりと憶えています。
いつものように治療の一環として実地訓練をしていたときのことです。

ある出来事をきっかけに「どうすればよいか、心と体が完全に理解した」状態になったのです(そのときあったこと、詳細な心の動きなどは講座にて詳述しています)。

この感覚は一度体得すると二度と忘れません。
それからは週単位で症状が軽くなり、ほどなく完全に視線恐怖症を克服することができました。

視線恐怖症とは死ぬまで付き合っていかなければならないんだろうな、と常々考えていたので自分自身本当に信じられない思いでした。

「辛い戦いの日々からようやく解放される」
「あきらめずに努力を続けたかいがあった」
心の底からそう思いました。

地獄から生還した後

視線恐怖症が治ってからの私は以前の私とは全くの別人と言っていいほど変わりました。

人と接することに恐怖・抵抗を感じる場面がほとんど無くなったため、日常生活で様々な変化がありました。

・老若男女問わず色々な人から話しかけられるようになった
⇒以前は「近寄るな」オーラを出していたんでしょうね

・重要な仕事を任せられるようになった
⇒2度お世話になった上司から「〇〇(1度目のプロジェクト)の頃とはまるで変わりましたね」と言われました

・見たいものを見る、行きたいところに行く、といったことが自由にできるようになった
⇒以前はこんな当たり前のことすら満足にできなくなっていました

・前向きで活動的になった
⇒明日をどう乗り切るか、ではなくもっと先を見据えて行動できるようになりました(※そもそも以前の私であればこのサイトを立ち上げることすら困難だったでしょう)

毎日普通に生活できていることがどれだけありがたいことか・・・
視線恐怖症だった時の苦しみを経験しているだけに本当によくわかります。

今は日々色々なことに感謝しながら生きています。

おわりに

私と視線恐怖症との関わりについて簡単に説明しましたが、いかがだったでしょうか。

「参考にならなかった」という方、ごめんなさい。

自分と重なるところがあった方、何か思うところがあった方はぜひ当サイトの別記事も読み進めていただければと思います。

最後に一言だけ・・・

視線恐怖症は決して治らないものではありません。
実際に決して治ることはないだろうと思っていた私は今、完全に視線恐怖症とは無縁の生活を送っています。