視線恐怖症患者にとって映画館は地獄そのもの
視線恐怖症の方には共感していただけると思いますが、私は映画館が心底嫌いでした(映画は好きです。”映画館”が嫌いなのです)。
大抵の場合、両隣に人が座っている状態で約2~3時間その場にいなければならない。
まさに逃げ場のない地獄です。
いまでこそ普通に映画も見に行けますが、視線恐怖症だった頃に映画を見に行ったことはありません。
ただ1度を除いて・・・
なぜか会社の同期と映画を見に行くことになってしまった
もう5,6年前の話ですが、会社の同期3人と仕事帰りに映画に行くことになってしまいました。
会社の人とプライベートで絡むことなど全くなかった私ですが、なぜか同期だけは自暴自棄の私を見捨てずに(?)いてくれて、私も最低限の付き合いは続けていました。
詳しい経緯は憶えていないのですが、気が付いたら「いつ見に行く?」という会話にまで発展している状況で、「行くしかないな、これは」と覚悟を決めざるを得ませんでした。
そして当日。
座席に座るときから緊張はMAXです。
なにせここで運命が決まるからです。
何がいいたいかというと
「(4人の中で)端に座ることができれば少しはマシになる」
という考えが私の頭にはあり、なんとか端の席を確保しようと動作に細心の注意を払っていたのです。
見知らぬ他人ならともかく、ある程度見知っている人に嫌われるのは本当に辛いですから。
4人なのでどちらかの端になる確率は1/2。
この際同期に挟まれなければもう片方の見知らぬ他人に嫌われようが関係ない。
とにかく端だ!
頭の中はそれだけです。
座席を確保する段階では最後尾を歩いていたため
「これはいける」
と思ったのも束の間。前を歩く同期がジュースを買いに戻ってしまい、私の計画はここで頓挫しました。
先頭を歩くべきだった・・・
後のことはあまり憶えていません。もちろん映画の内容も。
憶えているのは、どうしようもない気持ちでいるなかで、2つ前の列に座っている人の目隠しが気になってしまい、これも私のせいではないか、と思いさらに落ち込んだことくらいです(今思えば絶対関係ないです。あれは。)。
予想に反して
「終わったな」と思っていた私ですが、同期の反応は予想に反していつもと変わらない様子でした。
その後の付き合いにも特に変化はありませんでした。
・彼らは私のそういう面を知ったうえで受け容れてくれていた
・自分が気にしすぎただけで、彼らは特になんとも思っていなかった
・彼らに対して申し訳ないと思う気持ちが伝わった
理由は良くわかりませんが、やはり
自暴自棄になって自分から彼らとの関係を絶とうとしなかった
ことが大きかったように思います。
今思えば気のしれた者同士、気負うことなど何もないわけで、純粋に映画を楽しめばよかったのにもったいないことをしました。
今は4人とも別々の職場になってなかなか会う機会もありませんが、また映画に誘われたら喜んで行くつもりです。
人付き合いについて最近思うこと
他の会社がどうなのかは知りませんが、私の会社では同期入社という言葉は強い力を持っていて、ただそれだけで連帯感があります。
当時は同じ年に入社したというだけでなぜこんなに仲良くしようとするのか、よく理解できませんでした。
実際自分から彼らに近づくこともしませんでした。
でもそんな小難しい事を考える必要はないんだと最近気づきました。
人と人が仲良くなるきっかけなんてどれもささいなことであって深い意味などありません。
「幼馴染と仲良くなったきっかけは?」
と聞かれたら、大抵は
「家が隣同士だったから」
とか
「引っ越してきて最初に会った相手だから」
とか、そんなものでしょう。
特に意味なんてないんです。
理由が何であれ、自分と親しくなろうとしてくれる人がいる。
それで十分ではないか。
せっかくの好意なのだから素直に受け容れればいいじゃないか。
そう考えるようになりました。
同期に限らず最近は他者との縁を以前より大切にするようになった気がします。
コメント